私には師匠がいます。
色々あってサラリーマンを辞めたのですが(バクッとしすぎだろ!笑)
少し落ち着いたら何か楽しいこと、好きなことを仕事にしたいと思い
興味のあることを試していた時期がありました。
ヨガ、風水、ボディマッサージ‥ 色々です。
その中で、美容師さんにたまたまご紹介いただいた方が
私が「師匠」としている先生です。
(勝手に師匠と呼ばせてもらいます‥了解もらってなくて‥ゴメンなさい)
1〜2ヶ月に1度、師匠のお宅にお伺いします。
主に、体のことを勉強しに行っているのですが、
その内容は多岐にわたり、哲学的なこともかなり多く
「いつどこでそんな勉強を?」と思ってしまう、私にとっては異次元の方です。
このブログも、師匠の勧めで始めました。
パソコンの設定や最近のIT系?に、ほんと疎いので
ブログに必要なドメインの取得方法を教えてもらったり
ほんとに手取り足取り状態です。
昨年の8月にはブログが始められる状態にはなっていたのですが
私が始められるテンションというか、その気になれなくて、うだうだしてても
「やりたくなったらやればいいんですよ」と
優しいお言葉をかけていただき、今に至る訳です。
そして、師匠は本をたくさんお持ちです。
その日に話題になったことについて「こんな本ありますよ」って
本棚から「はい」って渡されます。
(師匠、あなたは何者ですか?四次元ポケットをお持ちで?)
で、興味のある本をお借りして、次お伺いする時に返すという、まるで図書館のようなのです。
難しい本も多いので、読まずにお返しすることもあるのですが
その辺も全くの自由です。
(性格的に読まずに返すことが申し訳なくてできなかった私ですが、今はそれもできるようになりました)
最近借りた本で、気になる本がありました。
苫米地英人
『君も年収1億円プレーヤーになれる』宝島社
この本の中で、「エフィカシー」という言葉が出てきます。
苫米地さんは、エフィカシーを能力の自己評価とされています。
私は「1億円プレーヤー」云々よりも、「能力の自己評価」に反応したのです。(えっ、そっち?)
エフィカシーとはすなわち、自己の能力の自己評価のこと。
私はとにかく、自己評価が低い‥
例えば、あることに対して誰かに
「すごいね! 」と言われても
「いえ、全然」と答える自分。
自分自身がほんとにそう思ってるから、
これは自分の客観的判断における素直な表現に過ぎず
謙遜でもなんでもない。
いつからこんな風になったのかは定かでないが
小中学生の頃と比べ、明らかに自分への評価は低い。
そんな今の自分を気付かせる言葉だったのです。
自己評価ですよ、自己評価!
なんで自分で自分をいじめなきゃいけないんですかねー?
自分に厳しすぎるやろ!
自己愛が全くない!
自分はスゴいって、そういうことにすればいいじゃないですか。
誰かが自分の頭、覗きにきますか?「お前、過大評価しすぎだろ!」って。
いやいや、そもそも自分が自分を評価するのに何か正当性が必要?
誰かに知られたら恥ずかしいことなの?
過大評価であっても、全然OKでしょ!
根拠のない自信でも、全然ありでしょ!
誰かと比べてどうこういうことじゃないはずなのに
いつも他人や何かと比べて、それより上とか、それより下とかって
無意識かつ瞬時にやってるわけですよね。
おそろし〰︎
自分の「能力」ではなく
能力の「自己評価」を上げるだけなのに、
「他人」の評価ではなく
「自己」の評価をするだけなのに、
なぜこんなに抵抗するんだ〰︎
自己評価なんだから、上げるだけ!
自分への自信も自己愛も、持つだけ!
ただそれだけよ
はいはい、自己評価、上げればいいんでしょ、上げれば!
自信も自己愛も適当に持っときますんで‥あんまり構わんとって!
(↑そんな気さらさらないけど、とりあえず返事しとけ、みたいな‥)
‥エフィカシー、この一つの言葉で私にはこれだけ脳ミソの中で会話があるのです。
抵抗する自分もおるかもしれんけど
どうせなら「私はスゴい」ってことにしといたら?
だって、あなた、ほんとにすごいでしょ!
そんなん、お世辞やって。信じたらあかんで〜!
‥思いは、ぐるぐると堂々巡り‥私の中の天使と悪魔
がせめぎ合う。
長いこと人間やってると、思考のクセは一筋縄ではいきません‥
無理に思い込んだりするのは少し違うと、私は思っています。
これも一種の抵抗かなー^^;
私の師匠は
「良いも悪いもない。自分に正直でありなさい」
「無意識を意識化しなさい」
と、いつもおっしゃいます。
(奥深くて実践はなかなか難しいです、師匠)
それなら、すぐに自己評価を上げられない私は悪くないし‥
だったら、無理に、直そう・思い込もう とせず
この思考のクセをキャッチすることから始めてみようと思います。
人間って、常に脳の中で会話してるんですってね‥しかも無意識で。
その会話をキャッチしにいってみようかと‥
きっと、ひどい会話してるんでしょうね 知りたくな〜い
そして、過去がダメだったら、未来もダメ!みたいな思い込み。
そんなことないですよね〜。
まだ起こってない未来のことは、過去のこととは関係ない。
このことを区別できると、
私の未来は素晴らしくてもいい
って素直に思える。
素晴らしい未来の自分がいるなら、
たった今も、素晴らしい自分であってもいいですか?
‥うん、これなら、OKって言えるかも^ ^
しばらくは、自分を見つめることに専念です。